鄭永寧:鄭成功の子孫?

生年: 文政12.8.11 (1829.9.8)
没年: 明治30.7.29 (1897)
明治期の外交官。長崎で「呉氏六秀(呉家の秀才兄弟)」の末子に生まれ,代々唐通事の鄭家を継ぐ。外務省に入り,大訳官,外務少記,1等書記官,権大書記官と累進。この間,柳原前光,伊達宗城,副島種臣,大久保利通,森有礼,伊藤博文の各清国派遣に随行,談判通訳に従事。のち司法省に転じ『大清会典』の訓点に尽くす。明治19(1886)年退官し閑居。長男鄭永昌は北清事変(1900)時の天津領事,袁世凱嘱託。次男鄭永邦は北京公使館書記官,『官話指南』は呉啓太との合著。墓は谷中霊園。<参考文献>東亜同文会編『対支回顧録』下,黒竜会編『東亜先覚志士記伝』下
(安岡昭男)

http://kotobank.jp/word/%E9%84%AD%E6%B0%B8%E5%AF%A7

↓こっちをみると、鄭成功の子孫ってあります。
http://www17.ocn.ne.jp/~ya-na-ka/teiEinei.htm

↓息子さん(養子)が日本最初の本格的珈琲店「可否茶館」の創始者鄭永慶だそうです。
http://www.y-21gp.com/coffee/STORY/storyAC.html

ウィキペディアには明治期の外交官鄭永邦がでてます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E6%B0%B8%E9%82%A6

肥前国、長崎生まれ。鄭家は鄭成功の末裔と称し、明朝滅亡後、その遺臣として日本に亡命し定着した。長崎では代々、唐人屋敷の清朝の役人の通訳を稼業とした。父の鄭永昌、兄の鄭永寧も外交官である。

鄭成功の弟さんは田川七左衛門(祖父と同じ名前)で日本に残っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B7%9D%E4%B8%83%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80


他にも子孫だというひとたちは台湾などにもいるみたいです。
鄭愁予(台湾の詩人)
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E6%84%81%E4%BA%88


ちなみに、鄭成功のお母さんが日本人なんですが、これ、結構中国人にとってはショックらしく、百度で鄭成功を検索しようとすると検索予測に“郑成功的母亲”がでてきます。中国語版のウィキペディアにも百度百科にも書いてあるんですけどね・・・。別に血統にそこまでこだわらなくても・・・。