作文にみる中国人(親孝行)

学生に日本語の作文を書かせると、彼らの考えがわかるときがあります。
(ただ、中国では作文はかなり建前が多いのであまり参考にならない場合があります。日本と違って、作文は内容が大切なのではなく、表現が大切だったりします。ですから、全国優秀作文集などというような本が売られていて暗記したりしてます)

寝たきりや認知症になった親を施設で介護するか、自宅で介護するか、というテーマで書いてもらいました。書く前には、老々介護や、介護疲れによる自殺など日本の深刻な状況も話しました。
これで、施設介護派が増えるかなとおもったら、やはり中国でした。
自宅介護派が多かったです。しかも、浅い内容でした。

「親は私を育ててくれたから、自宅で介護するのは当然だ」という意見が多かったです。(→幼稚園や小学校には行かなかったのでしょうかね?)

「自宅で介護するべきだ」
(→「べきだ」「しなければならない」という表現が多かったです。結局愛情じゃなく義務なのか)

「親孝行は中華民族の美徳だ」
(→はいはい。美徳ですね。こういう表現って、ひとをうんざりさせるものがありますね)

「自宅で介護しないと親不孝といわれる」
(→本音はそこなんでしょうね。施設介護が親不孝だというのはちょっと高齢化社会という現状からみて時代遅れの感覚だとは思いますし、自宅で介護するかどうか、他人の意見を気にしないといけない社会は窮屈そうです)

「親はこどもと一緒にすごすことをよろこぶだろう」
(→下の世話とかされたり、嫁にも行けなくなった娘をみて、単純に喜べる親ってかなり少ないと思うんですけどね・・・)



日本語学科の学生は、うちの省内(内陸部)では仕事が見つからないので、
ほとんどが沿海部にいって就職することになります。
つまり、自宅介護をするということは、上海なり深センに呼び寄せて介護するか
自分が仕事をやめて田舎にかえって介護するか、なんですが、
上海に呼び寄せた場合、友人や地元と切り離された両親はかえってさびしがるんじゃないでしょうかね・・・。昼間は誰も相手してくれないわけですから・・。

昼働いて、夜も両親の世話、寝る時間がなくても自宅で介護する、という精神論者がかなりいました。
本当に想像力がない学生が多すぎます。
自宅介護をするにしても、ヘルパーを雇うとか実現できそうな案を考えた学生があまりにもすくなかったです。


「親孝行」って便利なことばですよね。
政府はなにもしなくても、個人に責任を押し付けられるのですから。
今年の学生の作文は割と不作でした。
例年なら
「高齢化社会では、介護は社会全体の問題だ」というような意見の学生が1〜2名はいるんですけどね。
(中国もすでに高齢化社会に突入してます)