『開国と幕末変革』読了

『開国と幕末変革』(日本の歴史18)井上勝生、講談社、2002年
を読み終わりました。日中の交流史とは関係ない本なんですが、
おもしろかったです。

オホーツク海をとりまく少数諸民族の狩猟、漁労、採集、遊牧、そして交易など、彼らの文化と生活様式の共通性は、最近とみに世界の注目を集めている。なぜなら少数諸民族は自然の生態系と調和し、大集落をつくらず散居し、固有の儀礼をともなう交易を行い、ゆるやかに交流しながら、民族固有の文化を発展されていたからである。それゆえこの地域の文化は、「環オホーツク海文化」と呼ばれている。アイヌ民族の文化は、その南限に当たっている。(14頁)

中国にいて、「偉大な中華文明5000年」というスローガン/プロパガンダをいつも目にしたりしていると、こういう自然と調和した民族のことを忘れがちです。
そもそも「文明」が「偉大」どうかを判断するのは各自の価値観の問題ですが、
そのことをこの国にいるとわすれてしまうこともあります。
自然との共生とか、そういう現代社会では大切な考えは、中国からはつたわったものじゃないですよね。


1669年のシャクシャインの戦いに対する見方も変わってきているようです。

戦いは、仕掛けられた謀殺などによって和人の侵略を撃退できなかったが、アイヌ民族の敗北だけに終っていない、重要な遺産を残したという認識である。戦いのあとも、蝦夷地はアイヌ民族の「人間の静かな大地」でありつづけた(15頁)


また、江戸時代の訴訟はかなり多く、

江戸時代の公事師は、近代になって、代言人をへて、弁護士へと受け継がれる。(71頁)

なんてことも書いてありました。職業としての訴訟代理人までいたんですね。

19世紀の日本には、地域の村々から近代の代議制へと向かう大きな底流、地下水脈が流れていた(80頁)

と筆者は評価し、「代議政体はヨーロッパにしか生まれなかった」という最近までのこっていた欧米の根強い世界観を批判します。人権思想もこのときに萌芽があるみたいです。

竹やりをもって「殺害」事件に及んだのは、江戸示談一揆史上三千二百件ほどの一揆のなかで、1820年前後(文政年間)の二例だけである(84頁)

など、むしろ旗に竹やりで統率が聞いていないという一揆のイメージが間違っていることも示されています。

江戸幕府の支配の強さは、訴訟も厳禁し、百姓を力で圧倒したところにあるのではなかった。越訴もふくめて訴訟をおこなうことも認める、柔軟性のある支配に強さの秘密があった(103頁)

越訴は死罪というイメージも実際は違うようです。
朝鮮との比較も書いてありました。
朝鮮は、一揆が日本より「激烈」、政府側の処罰は「日本より厳しいとはとてもいえない」(110頁)みたいです。日本のほうが「激烈」ではないのを考慮にいれれば、処罰は日本のほうが厳しいといえますね。
中国の民衆の乱も詳しく触れられているとおもしろかったんですが・・・。

蜂起民衆の規律という点で、共通するものがあった。中国の民衆運動を見ても、「民家の門に右足を入れた者は右足を斬った」という厳格な規律が知られており、太平天国農民運動の影響をうけて蜂起した上海の小刀会一揆は、「民間の一物も取るべからず、民間の一女も犯すべからず、違反者を重罰す」という布告をだしていた。(112頁)


あとは、天保の改革にアヘン戦争が影響をあたえたとか、
江戸時代の蘭学はかなり地方にも浸透していたとか、おもしろかったです