一衣帯水

Wiktionaryに「一衣帯水」の出典がのってました。

出典

李延寿『南史・陳後主紀』(同一の内容 姚思廉『陳書』)

【白文】   我為百姓父母、豈可限一衣帯水、不拯之乎
【訓読文】  我、百姓の父母たるに、豈(あ)に一衣帯水を限り、之を拯(すく)はざるべけんや。
【現代語訳】 私は、民衆の親の立場にあって、どうしてあんな細い川(揚子江)で隔てられているからと言って、その民を救わないでいられようか。
【解説】中国南北朝時代南朝陳第5代皇帝後主は、大変暗愚な主君であり国力が衰え民衆は困窮していた、そのような中で北朝隋の皇帝文帝が、南下して陳に攻め入るときに言った言葉。

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手元の漢和辞典『漢字源』にも


一本の帯のように狭く長い川。互いに、川や水をへだてて距離の近いことをいう。「豈可限一衣帯水、不拯之乎=あに一衣帯水を限りて、これを拯はざるべけんや」[陳書・後主]


とあります。
この「一衣帯水」。
1972年の日中共同声明にも「日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。〜〜」というふうに使われています。
中国語は、在中日本大使館のサイトでみられます。
「中日两国是一衣带水的邻邦,有着悠久的传统友好的历史。两国人民切望结束迄今存在于两国间的不正常状态。战争状态的结束,中日邦交的正常化,两国人民这种愿望的实现,将揭开两国关系史上新的一页。 」

この一衣帯水、日中友好の場面では常用単語です。
中国で出版されている大学日本語学科の教科書のまえがきにもよくでてきます。

しかし、出典をみると決して友好に適切な言葉だとはおもえませんね・・・。
どっちが使い始めた言葉なのでしょうか。