卒論の口頭試問終わり。+読書量

土曜日に卒業論文の口頭試問(中国語では答辩)がおわりました。
といっても私の卒論ではなく、勤務している大学の日本語学科の学生のものです。
卒論と言っても6000字程度ですが、それでもやはり日本語で書くのは大変です。


今年はあからさまなコピペはなかったのでよかったです。
しかし、相変わらず、内容的にはひどかったです。
そもそもうちの大学には文献がないので、研究なんてできるはずがないですし、
「〜さんは小説で卒論をかいたわけですが、この3年で何冊小説をよみましたか?どの国の小説でもいいですし、中国語の翻訳でもいいですが、何冊ぐらいですか」と何人かの学生に質問しましたが、20冊程度でした。
すくなすぎます。

もちろん、理由があります。
ひとつは、授業が忙しすぎるということ。
日本の大学は124単位ですが、中国は140〜170ぐらいあります。
土曜日も授業があったりします。
それから、授業で、参考文献をよませることはなく、教科書1冊を先生が解説する形式ですので、自分で調べるという自主性が養われていません。
図書館にいっても、閲覧室では、図書館の本を読んでいるんじゃなく、教科書なんかを自分でもってきて自習してますからね。


ですから、確かに中国の学生は、日本の学生にくらべ自習時間が長いですが、ひとつひとつの授業にかける予習復習の時間はそれほど長くないんです。しかも、教科書を「覚える」といった自習です。


口頭試問で毎回思うのは、教師の質問に対し「でも〜」と反論し、それで押し切ろうとするところです。自分の論文の間違いを決して認めない学生が何割かいます。
「反論」する部分じゃないところも「でも」と「反論」するので、ちょっと変だなって思います。
例えば、
「この出典の注の『岩波〜講座』全20巻、205ページっておかしいですよね」
「でも、インターネットでしらべました」
「インターネットということは、自分でこの文献をしらべたわけじゃないんですよね。それはともかく全20巻というのがわかっていないんじゃないんですか?」
「でも、ちゃんと書いてありました」
「だから、全20巻というのは全部で20冊あるわけですよ。205ページと書かれてもわからないでしょ?」
「でも・・・」
こんな感じです。省略しました、このやりとりが延々と続くんです。
最後は中国人の先生が中国語で「先生が指摘してくれている部分は、ちゃんと聞かないとだめ。後で直しなさい」とお説教して、無理やり納得させるということになります(苦笑)


世帯当たり年平均読書量1.75冊、進む「本離れ」(人民日報日本語版 2009.4.2)
>中国出版科学研究所が2008年に発表した第5回国民読書調査によると、中国人一世帯あたりの年平均読書量はわずか 1.75冊にとどまった。従来型書籍の読書率は、2005年比14%減の34.7%と、依然低レベル傾向が続いている。本を読まない原因として、 49.4%が「時間がない」、42.8%が「読書の習慣がない」と答えた。「中国青年報」が伝えた。
>この結果だけで、中国人は本を読まないと結論付けるのは正しくない。読書の目的が明確かつ理性的なだけだ。オンライン書店の国内王手・当当網の週間人気図書ランキングを見ると、大部分が「実用図書」で占められており、健康関連書が4冊あった。


大学も実学重視ですからね・・・。小説を読む学生が少ないのも仕方がない・・・のでしょうか。私としてはちょっと残念ですが。


韓国成人の読書量、年間11.9冊(韓国:中央日報 2006.12.16)

グーリサーチ
日本人
>2006年の1カ月間の平均読書冊数は、小学生は9.7冊、中学生は2.8冊、高校生は1.5冊。