『歴史入門』フェルナン・ブローデル

『歴史入門』フェルナン・ブローデルを読みました。

歴史入門 (中公文庫)

歴史入門 (中公文庫)

原著は1976年の本で、原題は「資本主義の活力」ですが、なぜか「歴史入門」という邦訳がついてます。まあ、自身の著作をわかりやすく講演したときのものがもとになっているので、そういう意味ではブローデル史学の入門なんですけどね。


アナール学派、懐かしいです。
大学で2単位ぐらいとりました。
で、フランス史のはなしばかりかとおもいましたが、
中国や日本のこともでてきました。

その他の世界の経済と比較すれば、ヨーロッパの経済は取引所や種々の信用形式といった、道具と制度の優越性のおかげで、より発展していたのは確かだと思われる。しかし、例外なしに、交換のあらゆる機構と手管はヨーロッパ以外の地域にも存在した。そうした機構の発展段階、使われ方には種々の段階があり、そこに一つの階層構造を見ることができる。ほとんど上位の段階に達しているのが、日本。そしておそらくマレー諸島とイスラム世界。インドもバイシャ階級の商人によって発展させられた信用制度、その危険な事業への資金の貸付、そして海上保険の実現によって、上位とそれほどかけ離れていない次のレベルに位置する。底辺に位置するのが、自己充足してしまっていた中国、そしてさらにその下に、何千という未だに原始的な経済が控えている。(49-50ページ)

こうした長きに渡る世襲財産の形成がやがて華々しく咲き誇る光景は、過去においても現代においても、われわれにとってはあまりに見慣れたものであるために、それが実際には、西欧社会の基本的特性であることになかなか気が付かない。……
 この点で、日本の社会は例外で、ヨーロッパとほぼ同じプロセスをたどっている。封建社会の崩壊はごくゆっくりと進行し、資本主義社会がそこから出現する。日本は商人の家系がもっとも長く続いた国であり、十七世紀に誕生した一族が今日なお繁栄しているという例もある。そうではあれ、比較史的研究によれば、ほとんど自力で、封建社会から貨幣秩序へ移行していった社会の例は、西欧社会と日本の社会をおいて他にない。ほかのところでは、国家、階級的特権者、そして、経済的特権者のそれぞれが占める位置はまったく異なっていたし、だとすれば、こうした差異から何らかの教訓が引き出せるはずである。
 中国とイスラム世界を見てみよう。不完全な統計資料からではあれ、中国では、垂直な社会的移動性がヨーロッパより大きかったことがうかがえる。中国の特権階級の数が多かったからではなく、中国の社会がヨーロッパより安定性を欠いていいたからである。…<このあと科挙について言及あり>…そうやって頂点に達したとしても、それはかりそめの位、要するに、精々、終身の位にすぎなかった。それゆえ、そこで財産を築いたとしても、ヨーロッパで名門と呼ばれるような家族の礎となるには遠く及ばないものでしかなかった。……一部には、商人と官吏との腐敗した関係はあったものの、中国の国家は、資本主義の拡大につねに敵意を示し、資本主義が情勢に乗じて拡大傾向を見せるたびに、ある種の全体主義国家(今日使われているような悪い意味のそれではなく)によって、最後には封じ込まれてしまうのだった。真の意味での中国の資本主義は、中国の外にしかない<←華僑のこと>(93-95ページ)<<


資本主義の発展と繁栄の社会的条件

資本主義は社会秩序の一定の平穏さを、そして、国家の中立性ないし脆弱性ないし好意を必要とする(96ページ)