日本の歴史学者、中国の影響払拭化?

中華文化はどのように日韓に影響を与えたか(2010-11-19 14:11:26 チャイナネット)
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2010-11/19/content_21380634.htm

ここ近年来、日本と韓国の一部の人物は所謂「中国の影響払拭化」即ち中国の影響を取り除く事を提唱し、中華文化が対東アジア地域に与えた影響を否定しようとしている。例えば、日本の文化は中国とは関係なく、日本は「海洋文化」であり中国は「大陸文化」であるという日本の学者がいる。

日中歴史共同研究の中国側論文もなぜか「中国の影響払拭化」に懸念を表明してましたが、縄文時代の見直しが進むのがそんなにいやなんでしょうかね?

中国から日本への移民もかなり早い時期だった。紀元二、三世紀の秦漢期に、一団の中国人が日本に移民したが、その象徴的な代表人物が良く知られている徐福である。

伝説上の人物をだしてまで、影響影響って言い続けること、はずかしくないんでしょうか。
なんか儒教の影響なんでしょうかね?別に先祖が中国人でも、中国人を尊敬するとか普通はないですよ。儒教的に先祖だから尊敬されるべきとか考えてるんでしょうか?
こういうことを言い出すのでうっとおしがられてるの、わからないんでしょうか・・。
俺のじいちゃんのじいちゃんって、すごいやつで、お前のじいちゃんのじいちゃんにいろいろおしえてやったんだよね」とかいうひとがいれば、私は間違いなく友達にはなりません。


今日、『縄文の生活誌(改訂版)』((日本の歴史01巻)岡村道雄著、2002年、講談社)をパラパラと再読していたのですが、以下の文に目が止まりました。

これまで、農業国日本の開始は水田稲作をはじめた弥生時代からであり、大陸から進んだ文化をもった人びとが渡来してきて北部九州から東日本に伝え、やがて国ができ、畿内を中心に国家体制を整備していったと、教えられてきた。ゆえに、国の原点と考えられてきた弥生文化は盛んに研究されたが、「縄文文化は先住民族、遅れた人びとの異文化であり、われわれとは異なる生活様式」という視点からしか学問的に探求されず、せいぜい優れた土器や土偶、漆器などを賞賛する程度であった。
ところが最近は、弥生文化に端を発する現代の都市文明に疑問を感じる人びとが増え、自然や人間関係も破壊されつつある都市から逃れ、豊かな自然や人間性への回帰が求められるようになってきた。どこかで、今の生活は日本人本来のものから大きく逸脱しはじめているのではないかと、多くの人びとが感じている。とりわけ、都市に暮らす人たちのそうした心情のどこかに触れるものを、縄文文化は持っているのであろう。

縄文文化が「日本の基層文化」であるという再評価がされているわけです。もちろん、これには最近の科学的調査法の進歩も関係があります。昔はよくわからなかったことが、わかるようになって研究がすすんでいるんですよね。
しかし、この文を読んで、感じたことがあります。
まだまだ中国では「発展」という言葉には魅力があります。
日本だと、上掲の引用文からも伺えるように「発展」とかいう物質文明の進歩には、疑問を抱く人もふえているわけです。
「文明の進歩」や「科学技術の発展」を100%礼賛できる時代でもないのに、
「あなたたちの文化・文明は中華文明に習った」とか言われても
(そして、それがもし事実だと仮定しても)、
単純に感謝するような構図に、現在の日本はない、ということです。
噛み合ってないんですよね。


オリンピックの開幕式などあらゆる機会に、古代中国の四大発明「紙、火薬、羅針盤、印刷が世界の文明の発達に貢献した」ことを自画自賛している中国ですが、
電気がない生活を実践する活動家などもたくさんいて価値観が多様化している時代にそういった「大きな物語」はウケないんじゃないでしょうかね?