「中国古代文学簡史」は「簡史」なのに・・・。『遊仙窟』

「中国古代文学簡史」の教科書は、「簡史」*1というぐらいですから、
中国の長い文学史をたった243ページに押し込んでます。
同じ先生がネット授業もしてますが、1回30分未満の授業が20回あります。
日本の半期講義だと22時間ちょっとありますけど、この授業は10時間未満です。
放送大学の放送授業(2単位)・面接授業(1単位)より1時間半ぐらいすくないです。


それなのにですよ。

唐代传奇在中国文学史上影响深远。后人戏剧及《三言》、《二拍》中许多作品,多取材于唐代传奇,如元稹的《莺莺传》,便衍生了金董解元的《弦索西厢》、元王实甫的《西厢记》等,而郑紱辉的《倩女离魂》,汤显祖的《邯郸记》、《紫钗记》,洪升的《长生殿》等不少戏曲皆据唐传奇脱胎、取材或改编而成。《剪灯新话》、《聊斋志异》等杰作,都受唐朝传奇作品的影响。而张鷟的《游仙窟》,唐时就流传到了日本

『遊仙窟』って日本に影響を与えたっていいたいだけで入ってるんじゃないか?
いつもの、ルサンチマン炸裂なのか?とついついおもってしまう私がいます。
過敏になってます。


中国語版のウィキペディアの『遊仙窟』の項目をみても、
以下のような分量です*2

《遊仙窟》,唐人傳奇其中的名篇,張鷟(658?−730)著。
張鷟,字文成,唐朝進士,曾任御史,深州陸澤(今河北深縣)人。

《遊仙窟》一文乃作者張文成以第一人稱敘述奉使河源(今青海興海縣),途經積石山,“日晚途遙,馬疲人乏”,投宿神仙窟,與崔十娘、五嫂二女(寡婦)邂逅,飲酒作詩,相與調笑的故事。全文以四六駢文的形式進行,又夾雜變文韻散,生動活潑,寫十娘:“天上無雙,人間有一。依依弱柳,束作腰支;焰焰膻波,翻成眼尾。才舒兩頰,孰疑地上無華;乍出雙眉,漸覺天邊失月。”有人稱之“新體小說”。

《遊仙窟》是唐代最早的愛情小說,可以看出初唐文人放蕩的狎妓生活,對後世愛情小說的創作產生重大的影響。《遊仙窟》原在中國已失傳千年,但在日本的盛傳不衰(《舊唐書》:日本“每遣使入朝,必出重金購其文”),清末再由日本抄印回中國。

白先勇小說《孽子》中的「遊妖窟」取材自本文。

矛盾ないですか?
「後世の愛情小説の捜索に重大な影響を与えた」ってありますが、すぐうしろに「中国では失われて1000年になる」が、「清末に日本より戻った」とあります。散逸してしまった書物がそこまで影響をあたえることができたんでしょうか?


百度百科にはもう少し長い文章がのっています。
一部引用

此书于当时传至日本,对日本文坛颇有影响。日本学者盐谷温《中国文学概论讲话》称之为日本第一淫书。

やはり日本絡み?

鲁迅的集外集拾遗中所写《游仙窟》序言如下:
  《游仙窟》今惟日本有之,是旧钞本,藏于昌平学……

魯迅も触れてるなら、やっぱり重要な作品なのでしょう・・・。


日本のウィキペディアには『遊仙窟』の項目は立っていませんが、
「中国文学」の項目には

六朝の志怪小説は、唐代になると「伝奇」や「古鏡記」などの伝奇小説へと発展する。しかし、北宋以降には、再び志怪小説へと回帰してしまう。『夷堅志』や清代の『聊斎志異』がその代表である。

『遊仙窟』が著されたが、しかし中国では散逸してしまい、日本で残った。

とあります。
これは、日本語のウィキペディアにとりあげられているのも変だとおもいますが、日本人にとって/日本文学にとって『遊仙窟』は意味があるからかもしれません。


『デジタル大辞泉』には以下のようにかいてあります。

中国唐代の小説。張鷟(ちょうさく)(字(あざな)は文成)著。主人公の張生が旅行中に神仙窟に迷い込み、仙女の崔十娘(さいじゅうじょう)と王五嫂(おうごそう)の歓待を受け、歓楽の一夜を過ごすという筋。四六文の美文でつづられている。中国では早く散逸したが、日本には奈良時代に伝来して、万葉集ほか江戸時代の洒落本などにも影響を与えた。古写本に付された傍訓は国語資料として貴重。遊僊窟。

やはり「中国では早く散逸した」とあります。中国文学史にどれほどの貢献をしたのでしょうか。240ページちょっとの入門書で、取りあえげるほどのすごい価値があったのでしょうか。ちょっとよくわかりません。
(日本に影響をあたえたということは、逆にいえば、他の国には影響が薄かったかなかったということになり、それほどの作品ではなかったということになりませんかね?)
ちなみに、『中国文学を学ぶ人のために』(世界思想社)は本文が295ページほどありますが、『遊仙窟』はとりあげられていません。


『遊仙窟』の記述に引っかかったのは、
中国古代史の講義で、「これは世界文化に影響をあたえた」「これは日本に伝わって日本の技術の向上に寄与した」とか、「中国→外国」の記述がやたらおおくて、うんざりした後遺症かもしれません。
その外国が「どのように受容したのか」、「どう変質したのか」、場合によっては「なぜ中国では廃れてしまったのか」「なぜ中国では継続的に発展しなかったのか」まで考察するならともかく、「あれもこれも、もとは中国のもの」というだけなら、「アジア文化は、中国文化の亜流」と考える中国人をやたら増やしてしまうだけじゃないでしょうか。


日本は外国の影響をどんどん受け入れてきたわけです。
古代においては大陸の影響をうけましたが、しかし、日本は中国と大きくちがっています。漢文を教養としてきたのに、なぜこうも違うのか、そういうことを中国人に考えてもらわないと、一向に日中友好がすすまないようにおもいます。
また、現代日本は、さまざまな文化からの影響をうけています。
「中国→日本」しか考えないと、視点があまりにも偏狭で、これもやはり日本理解の妨げになってしまうと思います。
(例えば「芥川における中国文学の影響」とかを一生懸命卒論に書く学生がいますが、じゃあ「芥川の大学の専攻はなに?」と聞くと知らなかったりします。芥川は東大英文学科卒です)

*1:厦門大学通信の設定単位はどれも内容に比しておおきすぎます。この授業は8単位

*2:百度百科については、