三武一宗の法難

中国人学生に、中国の遺跡について紹介してもらう宿題を出しました。
ある学生が仏教遺跡を紹介し「中華民族のほこりです」とかいったので、
かなりイライラしました。
中国の仏教徒の誇りならともかく、宗教施設を民族全体のほこりにするのはやめてほしいです・・・。
(しかも、その仏教遺跡は明末から1960年代まで修理されずに草生すままだでした。
誇りならちゃんと修理してほしい)


その「中華民族」とやらは、文革で多数の寺院を破壊したり、工場にしてしまったり、僧侶を還俗させたりしているわけですし、現在も、僧侶にマルクスや訒小平理論をまなばせたりしてます。キリスト教の神父さんの任命権がバチカンにあるのか、中共にあるのかという問題も報道されていますし、チベット仏教の活仏の指名も、中共がしてます。政治が宗教に口をはさんでいます。


そして、多くの中国の「中華民族」は、宗教を信じている人を馬鹿にしています。
すくなくともうちの学生はそうです。私が、「私は仏教徒です」というと、馬鹿にした表情をうかべる学生もいます(全員ではないです。仏教徒の学生もいます)。
マルクス哲学で宗教は悪だとならっているからでしょうね。

他には、かつては野蛮民族と馬鹿にしていたモンゴル族の英雄、チンギス・ハーンも
今や「中華民族」の英雄です。モンゴル国や中央アジアなどに散らばるチンギス・ハーンの子孫はどうすればいいんでしょうかね・・・

普段からのそういう積み重ねでついついイライラしてしましました。


話をもとにもどします。
日本のように、すくなくとも最近まで仏教国であったと明確にいえる国とは中国は言えません。
三武一宗の法難(三武一宗灭佛)という廃仏運動が歴史上も何回か行われています。

三武一宗の法難(さんぶ いっそう の ほうなん)とは、中国で仏教を弾圧した事件の中で、規模も大きく、また後世への影響力も大きかった4度の廃仏事件を、4人の皇帝の廟号や諡号をとって、こう呼んでいる。三武一宗の廃仏とも。(ウィキペディアより)

北魏の太武帝(在位 : 423年 - 452年)の太平真君年間。
北周の武帝(在位 : 560年 - 578年)の建徳年間。
唐の武宗(在位 : 840年 - 846年)の会昌年間。
周の世宗(在位 : 954年 - 959年)の顕徳年間。


唐は道教が国教だったこともあり、日本からの遣唐使も皇帝に「日本は仏教ばかり勉強しにくる。道教も勉強しろ」とかいわれ「はい、わかりました」と返事だけはして勉強するふりをしたとかいう話もあります。

円仁の『入唐求法巡礼行記』は、唐代の廃仏運動に触れている貴重な資料です。
百度百科にも入唐求法巡礼行记の説明が少しですがあります。“东方三大旅行记”とか書いてあるんですが、日本でも中国でも一般にはあまり有名じゃないんですよね。